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『3月のライオン 後編』―映画版・原作とは別物別物別物
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前編観ちゃったしな…後編も観るしかないよな…仕方ないよな…と、何だか最初からあきらめの気持ちで、でも一縷の望みをかける様な気持ちで、観に行って来ました、後編。



いや、もう…ね。
何か、ね。

これだけで、察して下さい。
後編、全然ダメダメでした。
あんな風に原作の世界ぶち壊しにしてくれるなら、実写映画化なんてしてくれなくて良かったよ。
本当に。
あ、でもこれ、『ハチミツとクローバー』の時も同じでしたね。
つまるところ、実写映画化なんてしちゃいけない、と。

神木くんは頑張っていたけれど、途中から零と川本三姉妹の関係性が変な方向に行っちゃって…。
あれは、脚本がクズ過ぎたんですね。
そして、演出もクズ過ぎた。
クズなんて言って申し訳ないけれど、でもそれ以外言い様がない。
零は、川本三姉妹の父親に対してあんなものの言い方をしないし(原作の台詞と被っているところは多かったけれど、でも台詞を言う文脈やニュアンスがまるで違った)、それをまた川本姉妹が零を咎めだてする様なことはしない。
況してや、「今日はもう帰って」とか、零が川本家に足を踏み入れにくくするようなことを言ったりはしない。
そもそも、伊勢谷友介演じる川本父の最低野郎の悪父ぶりが、映画では相当薄まっていた。
原作だと、もっと微に入り細に入り、最低屑男なのだけど、映画ではさらっとしか触れていなかったから、零があそこまで川本父に対峙する必然性も薄れてしまっていたし。
伊勢谷くんに花を持たせるためか?
そう言えば、伊勢谷くんは『ハチクロ』の時も最重要の森田役で出演していて、森田というキャラを見事にぶち壊してくれたんだっけ。
(伊勢谷くんが壊したと言うより、あの時も脚本がクズ過ぎたのだけれど)
でも、あそこで零を憎まれ役に仕立ててどうするのよ。
映画で、あかり役の倉科カナが川本父をビンタするっていうのも、全然的外れだったしなぁ。
確かにあかりの心情としてはそれくらいのものがあっただろうけれど、でもあかりはそれを実際に行動に移す様な性格ではないし。
もう何から何までぶち壊しだったよ。

そして、前編以上に壊滅度upの香子役・有村架純ちゃん…。
もう本当に、この役に架純ちゃんなんてあてちゃダメだったなぁ、と。
設定を無視して、もう架純ちゃんをよく見せるだけの場面とか台詞とかになってるのがあからさまで。
その役者さんが出演することで事務所の政治力とかパワーバランスが働いて、映画の筋やキャラが変わっちゃうような配役は、やめて欲しい。
彼女が出るかどうかで集客も変わるのだろうから、仕方のない部分なのかもしれないけれど、それでも。
最後、後藤に「あたしを大切にしないからだよ」とか言って、腕組んでヨリを戻すとかあり得ない。

前編の時に、この監督はどこにフォーカスを当てて、何を描きたいんだろう?って、とても不思議だったのだけれど、後編のトヨエツと架純ちゃんの対面シーン等を見てよくわかった。
この監督は、とにかく零の悲惨な幼少時代と、それによってバランスが壊れてしまった幸田家の家族の再生物語を描いて見せたかっただけなんだ。
将棋は、はっきり言って二の次で、ただ単に安っぽい家族再生物語を際立たせるための装置でしかなくて。
だから対局シーンも何だか緊迫感に欠けて、あんなに冗長でしかなかったんだ。
原作にあったギャグとか漫画ならではの笑いを取るシーンも全部カットしちゃったから(実写であれを再現するのは難しいとしても)、ひたすら暗くて陰惨な物語でしかなくなっちゃって。

ひたすら、残念だった。
あ、主題歌の『春の歌』も、腑抜けた変なアレンジになっていて鼻白んだ。
どうしてスピッツのあの名曲をあんなふにゃふにゃにアレンジ出来るかな。
残念。
以上。

あ、後編のエンドロールの前に出るタイトルバックで、
March goes out like a lam って出て、おや?って思った。
原作の『3月のライオン』では、サブタイトルでいつも
March comes in like a lion. とだけ出ているのですよね。
ことわざとしてはね、両方揃って初めて一つのものにはなるのだけれど。
「3月はライオンの様に猛々しくやって来て、子羊の様に穏やかに去っていく」と。
by bongsenxanh | 2017-05-07 20:02 | 映画 | Comments(0)


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