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『Marie Antoinette』~An ordinary girl's story~
『Marie Antoinette』~An ordinary girl\'s story~_a0054163_23441443.jpgもうそろそろ公開が終わってしまいそうな気配だったので駆け込みで観て来ました、『マリー・アントワネット』。ずっと前に予告映像は何度も観ていて、キルスティン・ダンストが演じ、ソフィア・コッポラが撮るマリー・アントワネットということで、正直なところそんなに期待していませんでした。あの絶対君主制から民主制への移行期、過渡期のフランスというのは、多くの人にとって大変魅力的で興味深い時代だと思うのですが(歴史が大きく転換する動乱期というのはどこの国でもドラマティックなもの)、それをアメリカン・ギャルのキルスティンが英語で演じて、アメリカン・ギャルのソフィアが撮る、という時点で重厚な歴史大河ドラマにならないのは容易に想像が出来ますから。つまり、この映画はそういうものを期待して観に行くのではなく、ソフィアがマリー・アントワネットという女性をどう解釈してどうソフィア流の色づけをして料理したか、を観に行く映画かと。



はぁ―――...これはまさしく、女の子の、女の子による、女の子のための映画と言えるのではないでしょうか。ポップです。キュートです。フリフリです。ピンクです。私はどちらかと言えばそういったものからの距離が遠い女だと思うのですが、それでも思わず「わぁ、キレイ~!きゃぁ、ステキ~!!」と小さく叫んでしまいたくなるくらいのガーリーっぷりでした。つまり、そういったものを楽しめる人にはOK、そうでない人にとってはまったくお呼びでない映画、ということになるかと思います。そういったガーリー・シュガー・テイストがたっぷり振りかかったヴェルサイユ宮殿の映像に被せるようにかかる70-80年代ポップスサウンドが、また意外なほどしっくりはまっていました。驚くほど違和感を感じなかったのです。通常の歴史ドラマであれば、たいていはクラシカルな雰囲気のBGMをあてるかと思いますが。この辺りのソフィア・コッポラの音楽センスの絶妙さには脱帽でした。その時その時のアントワネットの心情にぴったりはまるようにとても緻密な選曲でした。
そしてこの映画のキーワードは普通の女の子であるマリー・アントワネットですね。私たちがよく知っている、フランス史上で最も有名な、愛し憎まれた悲劇の王妃としてのアントワネットではなく、ただ普通の女の子。世間のことを知らなくて、ちょっと甘えん坊なところがある普通の女の子(生まれたお家は普通ではなかったけれど)が、国政の策略のために14歳で違う国の王家に嫁ぐことになる。見知らぬ国・王室・貴族・人々の中で戸惑い、不安になり、でもどうにか自分の居場所を見つけ出そうとして少しづつ大人になっていく普通の女の子とその日常を描く...というのが、ソフィア・コッポラの狙いだったのでしょう。その狙いは、十分に成功していたと思います。そういう普通の女の子を演じるには、キルスティンという女優はハマリ役だったと思います。キルスティンって決して正統派美人ではありませんよね(子役だった時はものすごい美少女だったのに!)、どちらかと言うとファニーフェイスで個性の勝った顔立ちをしていて。なのだけど、こういうごくごく普通の、ちょっと思慮分別に欠ける、何も考えていなさそうな女の子を演じさせるともう抜群に愛くるしくて。それでいて、時々ふっと見せる、贅を尽くした放蕩生活に倦んだ横顔なんかがはっとするほど美しかったりして。最後まで、マリー・アントワネットではないなぁ...とは思ったけれど(笑)
で、上に書いた、普通の女の子のマリー・アントワネットのお話、としてはよく出来ていたと思うのだけれど。それだけだとやはり、この女性の人生は描き切れないのですよね。後半、なんだか失速してしまって、ダレダレになってしまった気がしました。飽きてしまったのです、私。カラフルな美味しそうなケーキの数々にも、シルクを贅沢に使ったドレスの山にも、センスのいい靴たちにも。この辺の観客の飽きはそのままアントワネットの宮中生活の飽きにも重ねられるように計算されたものなのかもしれませんが、でもとにかく後半がダレたのは確か。やはりこの女性は、あの大きな歴史のうねりに影響されて、呑み込まれて、もみくちゃにされて生きたからこその輝きを放ったわけで、そういった視点を抜きにしては語れないのです。ドラマツルギーとして成立しないのです。そういった大局からの視点、この時代に渦巻いていた列強同士の政治、策略、権謀術数までも見渡せる視点を導入しないことには、マリー・アントワネットという女性の人生を描くことは出来ないのではないかな...と、物足りなさを感じました。ソフィアはインタビューの中で「アントワネットはヴェルサイユの外で何が起こっていたかをまったく知らなかった」と語っていて、つまりはそのアントワネットの無知という視点を観客にも同時に体感させようと、敢えて大局からの視点は省いたのだとも考えられるのですが、それは失敗に終わったのではないかな...と。ま、日本人(の特に女性)ならたいていあの辺りの歴史の動き、アントワネットがバスティーユ牢獄襲撃後にどのような末路を辿ったかは普通に知っているので(なんてったって日本には『ベルサイユのばら』という名著が存在しますから・笑)自分の頭の中で時代背景は補うことが出来ますが、一般的アメリカ人って、フランス史に関してはそんなに詳細な知識ってほとんど持っていないものだと思うのです。この映画は、ルイ16世一家が馬車に乗ってヴェルサイユからパリへ連行されるシーンで終わっているので、アントワネットの余生についてはまったく触れられていません。ここにもソフィアはあくまでも普通の女の子であるアントワネットのヴェルサイユでの日常生活についてのみ描きたかったのだという強い意志が感じ取れました。彼女は歴史ドラマを描くことにはまったく興味がなかったか、あるいはそこまで描き切るだけの手腕はまだ持ち得ていないのですね。
最後に。フェルゼン伯爵役のジェイミー・ドーナン、ものすごいハンサムくんでした。フェルゼンとのアバンチュールはとてもあっさり描かれていました。ほとんどチョイ役です、フェルゼン。
by bongsenxanh | 2007-02-28 01:10 | 映画 | Comments(4)
Commented by MARI at 2007-02-28 02:12 x
わたし以外には、多分本当にどーでもいい小ネタなんですが(笑)、この映画には殿のお嬢さんが出演してるんです。
Mary Nighy嬢。ランバル役です。
殿そっくりですが、お気づきになられましたか?(フツウは気づきませんね、ハイ)
Commented by ともきち at 2007-02-28 07:01 x
え!
大きく男の好みが違う!!(爆)

私はあのフェルゼンで突っ伏しましたから。
このみこのみこのみーーーー(歌ってるらしい)
bongsenxanh さんとは争わないな、男は(なんだなんだ)
甘い顔系好み?(ちらり流し目)
Commented by bongsenxanh at 2007-02-28 21:57
♪MARIさん
殿のお嬢様ですか...ランバルちゃんですか...ごそごそごそ(必死で記憶の底を探ってみる)
・・・わからないみたいです(笑)
最初の方の朝の着替えのシーンで「ハッロウ~♪」とか言いながら入って来た女の子かしら。
・・・やっぱりわからないみたいです(爆)
Commented by bongsenxanh at 2007-02-28 22:12
♪ともきちさん
オゥ~!!ノンノンノン!!!(人差し指を振る・・・私はどこの国の人だ?)
私の好みだとは申しておりませんのよ(笑)
ただ単にすごいハンサムくんだと。
とっても一般受けしそうな、誰もが「彼はハンサムだ」と認めそうな顔じゃなかったですか?彼は元モデルだそうですし、北アイルランド出身ということで、典型的なブリティッシュ系ハンサムだと私は思ったのですが。
でもともきちさんのおっしゃりたいことはわかっているつもりです、ふふ。
「あれはフェルゼンじゃない!!」
ってことではありませんか?(笑) 私はそう思いました。ハンサムくんだけど、フェルゼンではないな、と。高貴な雰囲気や品がないなー、と。割とその辺でちゃらちゃら遊んでいる兄ちゃん的なハンサムくんだなー、と。私はそれもソフィア・コッポラの狙いなのではないかと見ました。だからこそ、フェルゼンの扱いがあんなにも軽くて短かったのだと。アントワネットとの"世紀の恋"という崇高な感じは微塵もなかったですものね。

ともきちさんとは・・・たぶん、争わないと思います、男の方は、ふふ。
でもオットさんは密かに狙っておりますの(どろ~りと粘っこい流し目)


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