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『犬身』 松浦 理英子 著、朝日新聞社
犬身
犬身

わたしは犬になりたい。

というお話。

この本、凄い。
※以下、若干筋バレありです。



いやはや、いやはや。

この本はある種のファンタジーなのだろう。
犬化願望のある女性。
犬化願望を叶えてくれる代わりにおまえの魂をいただく、と言う謎の男性。
望み通り犬となって、自分の望んだ通りの相手に飼われ、愛され、そして...。


結構、重い話ではあるのだけれど、ところどころにユーモアが漂っていて、それがいい。
特に私が笑ってしまって気に入ったのが、犬となった主人公が嫌いな相手が家にやってくると自在に自分の嘔吐感を操って、その嫌いな相手にお見舞いする"犬型ゲロ噴射銃"。重い展開になったところでこれが出て来るものだから、なんだか妙にカタルシスがあってスカーッ!とした。
もともと犬好きだった主人公が、仔犬になった自分の姿を鏡に映して、あれこれポーズを取ってみて悦に入るシーンも可笑しくて微笑ましかった。おそらく私も主人公と同じシチュエーションに置かれたら、まったく同じことをするのではなかろうかと思った。愛くるしい仔犬になるって、変身願望が理想的に叶った形ではないだろうか。
あと、犬になった主人公が「たいくつだ」と言って、現実ではない夢想世界(魂の世界と言ってもいいかもしれない)で、謎の男性に書見台やら本やらを出してもらってそれを楽しむ、というところもなんだか笑えた。鉢植えが出てきたり風船が出てきたり雪だるまが出てきたりするところも。ドラえもんか!って突っ込みたくなってしまったり。

前述した謎の男性、朱尾献は何者だろう?というところが、私が一番気になったところだった。
このお話の中で、この朱尾なる人物こそが私には最も魅力的に感じられたからだ。冷徹なようで温かい。優しくソツなく振舞っているようで、怜悧に計算づくで動いている。そして、いろいろなことを操る不思議な力を持っている。何者だろう?ウィザード?デビル?神の使い?それとも?
登場人物の一人のようでいて、そのくせ、この物語全体を俯瞰できる位置から操作している、ぽっかり浮いた外的な存在のような雰囲気の人物なのだ。

そして。
中盤から、物語の核となる気持ちの悪い母親と最低下衆野郎(言葉が汚くて失礼)の兄という登場人物が出て来る。
この家族の呪縛(絆などではない、呪縛と呼ぶのが相応しいもの)が緻密に描かれる。
この辺り、私はかなり駄目だった。
気持ちが悪くておぞましくて受けつけなかったのだ。
たぶん私は生理的にこういう気持ちの悪い家族の呪縛の物語というのが駄目なんだと思う。

この本の、犬を撫でる描写(とても丹念だ)や、犬がうれしくて尻尾を振る描写は素晴らしかった。犬を撫でているしぐさだけをこんなにもじっくり字数を割いて書ける作家が他にいるだろうか。そして私自身があたかも犬になったような気持ちにさせられる犬の心理描写。あぁ、犬になるってこんなにもいいもんなんだぁ...と何度も感じさせられた。巧い。主人公の犬生(けんせい)を通して、読者も犬生を体験できてしまうのだ。

この本を読んでいる間、何度か以下の本を想起した。
最低下衆野郎が出て来るという点で中山可穂さんの『ケッヘル』を。
おぞましい家族の呪縛という点で山本文緒さんの『群青の夜の羽毛布』を。
そして、この本であまりに生理的に受けつけなかったので、手元にあった桜庭一樹さんの『私の男』、読まずに図書館に返してしまった(すみません、関連はないのですけど)。
なんだか、しばらくはこういう小説を読まずに、紀行文とかルポルタージュとかエッセイだけを読んで生きていたい...と思ってしまったのだ。
『私の男』はまたほとぼりが冷めた頃にでも。

エピローグとなっている最後のシーンは、淡白くやわらかい光が射すようで、とても良かった。
このシーンがあったから、途中気持ちが悪くても読了して良かった。
けれど。毒気にあてられたと言うか...おそらく再読する気にはならない本だろうと思う。
by bongsenxanh | 2008-02-27 01:54 | | Comments(0)


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