私はただ"観る"だけの側だったのに、気づけばいつしか、"演る"側の人たちと共謀して、この作品を作って来たような錯覚にも似た感覚に捉われている。 でも確かに、この作品に限らずだけれど、生の舞台は――劇場という空間は――役者や演出家やスタッフだけでは成り立たない。 そこに観る側である客がいなければ。 だから、舞台は、まさに"共謀"して作り上げるものなのだ。 ヨシオのファイナルだから...と、心してかかった今回の『M!』再々々々演。 おそらく、私にとっても、日本でこの作品を観るのはもうこれが最後になるだろう。 すみれ&綾で観た1月5日、帝劇で観た時よりも「男役全開!」になっちゃっている男爵夫人に「あぁ...もう、開き直っちゃったのかしら?関西で本拠地が近いから?」と脱力しつつ、でも帝劇の時よりも少しは"女声"で歌えるようになっていた『星から降る金』に少しはほっとしつつ、それでもこれでは悔いが残るな...と、じわじわ思っていた。 (終演後、「『星金』が前より少しはマシになってたわよねー」と話していらっしゃる熟れた感じの小母さまがいらっしゃって、やはり皆さんそう思っていらっしゃったんだ...と改めて思った) コンスタンツェがやけにヒステリックだったのも相変わらずだった。 一生懸命歌っているのはわかるけれど、強過ぎるのだ。 あと、つくづく思ったけれど、あのウェーバー姉妹+母の中に入ると、綾ちゃんは本当に「あんた、どこの子?よその子?」っていう感じになりますね。一人だけ全くDNAが違う。 これでは駄目だ。これでは終われない。 何しろ、12年の長きに亘って見続けて来た作品のラストがこれなのだ。 矢も楯も堪らず、降ってきたチケットを掴んで飛んで行った1月10日。 梅田では、帝劇の時より動きが大きくなるヨシオ。 これは前回公演の時もそうだったけれど、今回はそれだけでなく、やはりもう最後だから、何ひとつ残すものなく全てを出し尽くそう!という気概に溢れていた。 だからと言って、変に気負っているわけではなく、いい感じに肩の力は抜けていて伸びやか。 正直なところ、歌や声に関して言えば、帝劇の時の方が喉の調子は良くて、きちんと歌えていた。 例によって、ヨシオは公演後半になると喉を嗄すので、梅田では声がガラガラしていた。 『残酷な人生』のラストも『なぜ愛せないの』のラストも、全然声が出ていなかった。 けれど、それだけではない、圧倒的な存在感――"ヴォルフガング"としてそこにあること――ということでは、全身から発散される光のようなエナジーが凄くて、圧巻だった。 ヨシオ、いろんなことがあって――それこそ最初は小池先生(演出家の小池修一郎氏)にもヴォルフガングとして認めてもらえなかったけれど――アッキーみたいな天性のヴォルフガングではなくて苦しんだけれど――こんなすごい高みまで来たんだね。 この12年の間に蜷川さんの鬼のようなしごき、もとい、薫陶も受けたし、井上ひさしさんの本で栗山さんの演出も受けて、本当に、本当に、役者として階段を駆け上がって来たのね。 そして、お客さんの厳しい目と耳に晒されてきたことも、確実にヨシオの力になったはず。 この日のアマデは内田未来ちゃんで(結局、今回、私は未来ちゃんのアマデを3回観ることになった。日浦美菜子ちゃんだけ、一度も観られなかった。ヨシオとの組み合わせ、少なかったかもしれない)、そのアマデの肩を抱いて ♪このまま~の 僕を~ 愛してほーしい~ と歌って、目をきらきらさせて中空を見つめる二人の姿が、胸が締めつけられるように、愛おしく切なく思えた。 念願叶って、この日、香寿さんの男爵夫人をまた、観られた。 残念ながら、香寿さんも、公演終盤になって、帝劇の時よりも喉の状態が良くない様子だったけれど、それでも包み込むような優しさで歌われる『星から降る金』は、たっぷり味わえた。 ただ母性のような慈愛を感じさせるだけでなく、女性特有の可愛らしさ、可憐さも感じさせるところが彼女の歌声の魅力だと思う。 この香寿さんの男爵夫人にも、さよならだ。 あなたの歌に出会えて本当に良かった。 余談だけれど、この男爵夫人の歌の後にヴォルフガングVSレオポルトVSナンネールで歌われる重唱、特に私はヨシオが歌う ♪時が来たら 僕は行くよ~ のフレーズが大好きなのだけれど、それにも況して、このフレーズの後に入るヴァイオリンのトゥールーリーというフレーズがかなり好きで。 そしてこれと同じフレーズが2幕でセシリア&コンスタンツェの姉妹がお金をせびりに来るシーンでも使われていて、そこではヨシオが ♪利用されるのは 嫌だ~ と歌うのだけれど、2幕のここの方がヴァイオリンのボウイングの美しさが際立っていて、より好きでうっとりする。 あそこで第一ヴァイオリンを弾かれているのはどなただろう? 更に、これ、オーケストレーションを担当したのは誰なんだろう? ついでに言うと、今回の再々々々演の指揮、たっぷり"歌わせて""聴かせる"振りになっていたけれど、私は好みだった。 初演の頃の塩田さんの指揮よりもむしろ好みだったかもしれない。 すみません、マニアックな話で。 2幕の幕開け後に、最初ヴォルフガングだけが歌う『愛していれば分かり合える』、実は私、甘ったるくてそんなに好きではなかったのだけれど、そしてどちらかと言えばこのナンバーはヨシオよりもアッキーが歌うものの方が好きだったのだけれど、梅田に来てからのヨシオのこのナンバーは ♪君こそ エンジェル... という歌い出しを聴いた瞬間から、くらっと眩暈がしそうな程の媚薬のような甘やかさが。 とろけそうになる。 それでいて、全くこってりはしていなくて、ふわっと軽い。 こういう表現が自在に出来るようになったのも、今までのすべての結実なのだろう。 正直、コンスタンツェの登場は必要なくて、このままヨシオのソロだけでこのナンバーを通して聴きたいと思ったくらいだった。 あ、そう言えば、この『愛していれば分かり合える』のリプライズのシーン、例のお姫様抱っこ→ベッドインのシークエンス、梅田に来てから、かなりがっつりのキスになっていました、ヨシオ。 観ていた席が、二回ともよく見える角度の席だったということもあるけれど。 そんなにかぶりつかんでも!角度変えて何度もしなくても!というくらいの。 うーん、ヨシオ、大人になったのね...(って、違うか)。 2幕は、ヴォルフガングがアマデ=才能によってどんどん追い詰められていくのだけれど。 帝劇で終盤に観た柿原りんかちゃんのアマデがとても良くて、おぉ!と思った後なだけに、内田未来ちゃんのアマデは―もちろん悪くはないのだけれど―少し表情があり過ぎる気がした。 アマデは本来、モーツァルトの"才能"の部分を体現する存在なので、"無表情"または"表情が読めない"、"何を考えているのかわからない"のが、デフォルトであるはずなのだ。 そのアマデが、普通の子どもの様に喜怒哀楽を顔に出してしまっては、この世を超越した存在、"天賦の才"ではなくなる。 この辺り、子役がそれを抑制して演じるのは難しいのかもしれない。 ともあれ、そのアマデによって悪夢に落とされる『謎解きゲーム』が、この日はまた格別良かった。 もともとこのシーンはとても好きなシーンなのではあるけれど。 更に、後になってアマデがヴォルフガングを頸こうとするシーンでは、ヨシオ・ヴォルフガングは錯乱して 「お前がパパを奪ったんだー!返せよ、パパを!返せーーーッ!!!」 と、喉を振り絞って叫んでいて。 ここ、その日の感情によってヨシオのアドリブで台詞を変えるな...とは思っていたけれど、今までは「お前が家族を奪った」とか「お前は悪魔だ」だけで、「パパが」というところまでの言及はなかった様に思う(少なくとも私が観て来た限りでは)。 それを、"父親"に、よりフォーカス・ポイントを絞って台詞を言って来たところに、ヴォルフガングの喪失感や絶望は父親との関係性から来るものだったのか...と、ヨシオが出したひとつの答えを見た思いだった。 ヴォルフガングにとってそれだけ父の存在が大きかったということなのだけれど(史実を見ても、実際あの父親がいなかったら音楽家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは誕生し得なかった)、私個人的には、そこまで"父親への固執"だけに的を絞らなくてもいいような気もした。 コンスタンツェのソニンちゃんも、梅田に来たら帝劇の時よりもっと熱くなっていて、それは力のこもった熱演だったのだけれど。 コンスタンツェの大ソロ『ダンスはやめられない』を歌う時に、力をこめる余り、全てのフレーズの出だし&ブレス後の音にしゃくりが入っていて、聴いていてかなり耳障りだった。 期待していただけに、あれは非常に残念だった。 熱唱=ベスト・パフォーマンスということではないし、演じる者にはある種の冷静さが求められると思う。 役に入り込んでいるだけでなく、もう一人の自分が上から俯瞰で眺めている様な客観性もまた必要。 『魔笛』の公演成功の後に、「MOZART」の名前が書かれた横断幕をアマデと奪い合い、そしてそれを胸にしっかりと掻き抱いて『レクイエム』の作曲を始めるヴォルフガング。 赤黒い羽ペンで必死に譜面に音符を書き込み、ピアノにかじりつく様にして作曲する。 白い羽ペンを持つアマデは、そのヴォルフガングから離れた場所にいて、背を向けている。 心血を注ぎ、それこそ命を削るようにして作曲をしているヨシオの姿を見ながら、突如として閃いた。 これは、アイデンティティの問題なのだ。 自分とは何者なのか。 音楽を書いているのは、生み出しているのは、誰なのか。 自分なのか。 自分ではないのか。 外在する他者なのか。 天才は、才能は、自分ではないのか。 そう、これはモーツァルトという一人の天才の"才能"に光を当てた作品に見せかけて、その実のところは一人の人間の"自己同一性"を追求していく物語なのだ。 その証拠に、1幕幕切れと2幕幕切れとで二度も歌われる『影を逃れて』で どうすれば 自分の影から 逃れられるのか 自分の定めを 拒めるのだろうか 殻を破り 生まれ変われるのか 自分の影から 自由になりたい と言っているではないか。 どうして、今、この時になって、最後の最後になって、こんなに単純で、そして重要なことに気づいたのか。 自分の迂闊さを呪いたいような気持ちで、あぁ、でも最後に気づけて良かった、と思いながらアンサンブルとヨシオによって歌われるこのナンバーを聴いていた。 ちょっとじわっときたけれど、不思議と涙は出なかった。 ゴーギャンが描いた 「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」 という人類の普遍的なテーマを、この作品もまた、一人の天才をモチーフにして描いてきたのだ。 ヴォルフガングとアマデが最後に、道行きのようにして、お互いに抱き合うように息絶えることで、ヴォルフガングの自己同一性を求める旅も終わる。 まさに乖離していたふたつのものがひとつになった、完結だ。 だから、あれは、ヴォルフガングが解き放たれた瞬間であり、幸せな結末とも言えるのだろう。 熱に浮かされた様に、呆然としてふらふらと劇場を後にした。 今までありがとう、ヨシオ。 さようなら。 Sat Matinee Jan.10 2015 梅田芸術劇場メインホール
by bongsenxanh
| 2015-01-18 02:17
| 観劇レビュ 国内etc.
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Comments(3)
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tomotomo1202
at 2015-01-22 09:00
何度も読ませていただいて、そのたびに胸が詰まりました、きゅんと(あら、乙女・・・?)
最後、出て来たときに腑抜けになる状態っていうのもとってもわかります!!素敵なものを見た後って腑抜け状態ですよねえ。 帝国劇場しか見たことがないので、両方見てそれに対して的確な感想を述べている場所がなかなかないので(感情的なのは多くあるのですが)とっても貴重です~~ ああ・・・でも終了、やっぱり淋しいです~~
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bongsenxanh at 2015-01-23 00:46
♪ともきちさん
あー、そうなんです。 私も書いていて、そして舞台を思い返していて、それだけで何だか胸が詰まるんですよね。 きゅんって言うよりきゅぅっと締め付けられるような感じで(それも乙女か?) 同じ感覚を共有してくださってありがとう~!! で、この作品って、観た後ふらふらになりますよねぇ。 上演時間の長さも然ることながら、何かごっそり心と体の中のものを持って行かれるような。 Boy meets Girlの、歌って踊ってらんらんらん~♪ハッピー!っていう作品ではないですし。 梅田に行くと、ヨシオに限らずですけど、皆さん、動きや演技が大きくなりますし、あとアドリブが増えてやけに笑いを取りに行く感じになるんですよー。 やっぱり関西文化を意識するんでしょうねぇ。 私が今回ツボだったのは、1幕の始めの方でヴォルフが初めてウェーバー家を訪ねた時に、アロイジアの歌を聴きますよね。 あそこで、歌に「すばらしい・・・!!!」って言うヨシオに対して、帝劇の時は母親役の阿知波さんが「私が産みました」って言ってたんですけど、梅田では「意外に安産でした」ってしれっと言っていて、可笑し過ぎました。脈略なさ過ぎ…って。 カーテンコールで、ヨシオも「ほな、またな」「また来てな~」って言ったりして。 商業演劇って、いろいろサービスしないといけないんですねぇ。 終了してしまった今、DVDの発売が待ち遠しいですね。 梅田の大千秋楽のカーテンコールが特典映像として入るそうですよー。
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bongsenxanh at 2015-01-23 07:20
P.S. ともきちさん
ヨシオのあの「かぶりつき接吻」をともきちさんにもぜひ見ていただきたかったです(笑) ヨシオーーーー!!!そこまでやらんでもーーーーーっ!!! って、卒倒しそうに、でもちょっと笑えてきそうになるほど、熱のこもったお姫様抱っこからの流れでした。 あと、ともきちさんも言っていましたけど、ヨシオはやっぱり立ち姿がすらっとしていて奇麗なんですよね。 すごく華があるというわけではないのだけれど、足とかもすぅっと伸びていて、全体として清々しい感じで。 シカネーダーが登場した時とか、プラター公演のシーンとか、弾けて踊ってるヨシオに目が釘付けでした。
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by bongsenxanh
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