『グレート・ギャツビー』―中日劇場初日
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えーとですね、土曜日の夜、こちらを観て来たのですよ。
先月も東京は日生劇場で開幕週に観ましたが。
今回は、名古屋は中日劇場で初日です。
友人にチケットをお願いしていたせいで、そもそも自分がいつのチケットを持っているのか把握しておらず、初日が取ってあることがわかったのは前日夜でした(^^;)
予定、空いていて良かったわ。




で、東京で観た後にあれこれ考えていて、やはり思ったのは、これはもう明らかに失敗作だったな…と。
(えぇ、もう言い切ってしまいますよ!だって、これだけチケット売れてないし!リピーター割引なんか出してたりするし!)
で、友人にも「失敗の原因は何だと思う?」と訊かれて、「ヅカヅカし過ぎていて演出が古くてダサくて駄目なのと、音楽も全然耳に残らなくて駄目だよね」と、バッサリ言ってしまいました。
いえ、でも、そういうことだと思うのです。
以前にも書いた通り、宝塚初演の方の『華麗なるギャツビー』は、佳作だったと思うのです。
けれど、あのギャツビーの"美しい男のロマン"というのは、あくまでも宝塚という虚構の世界の中で成り立つものであって、それを外の世界の舞台にそっくりそのまま持って来て乗せても、どうにも嘘くさくなってしまって成立し得ないのです。
だって、外の世界の舞台は、生身の男と女がいて、演じるものだから。
井上芳雄という一人の男が演じるからこそ生きる良さを際立たせる演出でなければ、外の世界でやることの意味がないのです。
で、そこには"男装の麗人のカッコつけ"だけでなく、生身の男の愚かしさや汚さや醜さまでも描き出せる可能性があったのではないかと思うのです(だってフィッツジェラルドの『ギャツビー』なのですよ!)
そういったことまで描いてこその人間の深みもまた。
そのことを、誰か小池先生に言ってさしあげられる人はいなかったのだろうか(いなかったんだろうな、今くらい偉くなってしまったら)。
あと、宝塚独特の構成や芝居って、外の世界では古臭くて陳腐になってしまったりする。
同時に、今回女優のほとんどを元タカラジェンヌでキャスティングしたのも、敗因の一つだったと思う。
あまりに宝塚臭が強過ぎた。

ヅカ・アレルギーを持つ私でさえも、素敵だと思った杜けあきさんの演じたギャツビーのエンディング映像があったので、そちらをご覧いただければ、これをそっくりそのまま宝塚以外でやることに無理があったことは、自明なのではないかと思います。

https://youtu.be/MZVgLq8-8ko

と、言いつつも、万里生さんの可愛らしさだけはしっかり堪能してまいりました。
えぇ、もう、この作品を観る楽しみはひたすら万里生さんを見つめることですよ。
あ、ヨシオももちろんですが。
最後、墓場のシーンで、涙をボタボタ零してだだ泣きしている万里生さんにやられました。
喪服の胸元に涙の跡ができるくらい、泣いていたのです。
東京の時はあんなに号泣していなかったよなぁ。
地方公演初日で、役に入り込み過ぎちゃったのでしょうか。
素敵でした(結局、それか)。

Sat Evening Jun.3 2017 中日劇場
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by bongsenxanh | 2017-06-06 00:44 | 観劇レビュ 国内etc. | Comments(0)


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