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『パレード』―白眉の日本版初演
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昨日、木曜日の夜にこちらを観て来ました。
名古屋での公演は初日にして、今公演(東京・大阪・名古屋)の大千秋楽。
"共謀罪"法案があんな酷い形で強行採決・可決されたその日に、南北戦争後の米国での大冤罪事件を扱ったこの作品を観たことは因縁めいている。
かなりヤバい政権を戴くかなりヤバい日本という国を生きている私達にとって、とても対岸の火とは言えない題材なのではないか、と。
いえ、それだけでなく、1998-99シーズンのBroadwayでものすごく気になる作品だったにも関わらず(大好きなLCTでの公演だった)、観に行くことが出来なかったので、そこから20年近くもの時を経て日本で初演されたということは、エポック・メイキングな出来事でもあるのです、私にとって。

1913年、米国はジョージア州、アトランタ。
南北戦争終結から約50年もの時を経ても、南部では変わらず黒人は差別され、裕福な白人の下で働き、南軍戦没者追悼記念日=メモリアル・デーには南部の誇りを謳う盛大なパレードが行われる。
そのアトランタへ北部から移住してきたユダヤ系のレオ・フランク。
彼はジョージア出身のルシール(同じくユダヤ系)を妻に、鉛筆工場の工場長として働いている。
北部出身のレオは、古くからの南部の風習・気質に馴染めずにいる。
「戦争で負けたのにどうしてパレードでお祝いするんだ?」という台詞にもそれが滲み出ている。
そんなパレードの当日、事件が起こる。
レオの工場で働く13歳の少女・メアリーが強姦され殺されたのだ。
容疑者の一人として、レオも取り調べを受け、身柄を拘束される。
すぐに釈放されると思われたレオが、事件の早期解決を図る州検事、同じく政治的意図で動く州知事、事件を面白おかしく煽り立てる新聞記者、そして北部ユダヤ人に対して憎悪を募らせる南部民衆によって"犯人"へと仕立て上げられていく。
裁判ではレオに不利な証言ばかりが挙げられ、ついにレオには「有罪!」と高らかに判決が言い渡される。
パレードから1年、留置所に囚われたままのレオを、妻のルシールは懸命に支える。
家で夫の帰りを待つだけだったルシールは、レオの無実を証明するため、裁判のやり直しを求めて知事に働きかけ、レオに不利な証言を覆すべく、家の外へ出て活発に動き回っている。
事件の前にはぎくしゃくして噛み合っていなかったレオとルシールの夫婦関係は、皮肉なことにこの事件をきっかけに急速に近づき強まっていた。
ようやく心が通い合うようになった二人、レオの無罪が立証され釈放される日も近い…と思われた時、悲劇が起こる。
南部老兵やメアリーの友人らによって、レオが留置所から連れ出され、私刑に処せられてしまうのだ。
その日からまた時は流れ、パレードの日はめぐってくる。
その人々の中には、レオのために黒服をまとったルシールの姿もあった。



ストーリーを書いていただけで、救いのない暗い気持ちになるこの作品ですが。
この救いのないストーリー(しかもこれ、史実に基づいているのです。レオ・フランク事件で検索すれば、必ず事件の概要がヒットします)をきちんと"ミュージカル"というエンターテインメント作品に昇華させているのは、音楽の力がある。
Jason Robert Brown(ジェイスン・ロバート・ブラウン)による楽曲は、アメリカ南部を舞台とするこの作品を際立たせるかの様に、R&Bっぽいものがあり、ジャズ調のものがあり、チャールストンっぽいものがあり、ゴスペル調のものがあり、そしていかにも米国を思わせる、パレードの行進曲調のものがあり。
多彩にして、軽妙であり同時に重厚であり。
更には観客の不安を煽るような不協和音の旋律も随所にちりばめられている。
私見だけれど、JRBはかなりソンドハイムの楽曲を意識して曲を作っているのではないかしら。
そして、その楽曲を歌い上げる今回の日本版のアンサンブル・キャストが素晴らしい!
よくぞここまで歌える歌唱力抜群のアンサンブルを集めてくれた!って、キャスティング・ディレクター(日本のプロダクションにもそういう役割の人、いるのよね?)にお礼を言いたいくらい、鳥肌が立つようなアンサンブルの歌声を聴かせてくれた。
こういう言い方は失礼かもしれないけれど、日本でここまでハイ・レヴェルな歌唱力のアンサンブルを揃えるっていうのは相当すごいことだと思う。
後述するのですが、このアンサンブルの中に主役級でソロを歌える坂元健児さんや小野田龍之介さんが入っているということが本当にすごい。
彼らが普通にone of アンサンブルとして参加しているということが、あり得ないくらいすごいことなのです!
つまり、それだけ本気度の高いカンパニーだということ。

さて、制作陣に話を戻して、楽曲以外にも、実際のこの事件を舞台作品として仕上げた脚本家Alfred Uhry(アルフレッド・アーリー)の手腕も凄い。
ただひたすら暗いだけの作品でなく、一筋指す光であったり、かすかな希望を描いてみせ、また同時にレオを"犯人"に仕立て上げていかざるを得ない南部人たちの心情も浮かび上がらせてみせる。
そこには、土着の風習と固定観念に染まり、差別主義に傾き、一人の罪なき人間を悲劇へと追い込んでいく群衆の狂気までもあぶり出される。
(この愚かな民衆の狂気、というのは『ジーザス・クライスト・スーパースター』でも描かれるもの。ただ、あちらの方はカリカチュアされていて、今作の方がよりリアル)
この幾層にも重なり合い、様々な要因や、幾多の人々が絡み合う壮大な作品の演出を手掛けたのは森新太郎氏。
前述した通り、残念ながら私はBroadwayではこの作品を観られなかったので、オリジナルで大御所Harold Princeがどんな演出を施していたのかはわからない。
けれど、日本版の森演出は、オリジナルとの比較対象なしに、良かった。
随所で「斬新な演出だ」という声が聞かれたけれど、私はそうは思わなかった。
既視感がないわけではない。けれど、とてもよく仕上がっているハイ・ブロウな舞台。
ホリゾントから客席側へ向けて傾斜した八百屋舞台に、回る盆舞台(旧演出の『レ・ミゼラブル』なんかがこれですね)。
そしてこの作品を象徴するかの様な1本の巨木が下手寄りの舞台奥に立っている。
そこへ、"パレード"という作品タイトルを体現する様に降りしきる大量の紙吹雪。
主だった舞台装置としてはこれだけで、後はこれらに照明を効果的に当てることによって、役者の演技と生み出されるドラマをより強烈な輪郭を以って観客に提示していた様に思えた。
そう、照明が効果的だったのと表裏一体で、照明が当たらない部分に生まれる暗く黒い"陰"がこの上なく効果的に生かされていたと感じた。
光が当たらない部分に出来る"陰"こそが、この作品の根幹に横たわる"隠された真実""追い詰められた人間の心に宿る闇"を象徴するものなのではあるまいか。
また、そこで一見華やかな様に見えるパレードが行われ、大量の紙吹雪が舞い散るというのは、ある意味、この苦い物語に対してこの上もなく皮肉なことだ。
幕開けと幕終わりで、このパレードが行われ、アンサンブルによる素晴らしい大合唱が響き渡るのだけれど、あれはまさに恐ろしく残酷な光景だったと思う。
そして、美しかった。
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この舞台写真が、その一場面。

さて、このドラマを演じる俳優陣。
主役レオ・フランクを演じるのは石丸幹二さん。
いつもの様に幹ちゃんと呼んでしまうけれど、今回のキャスト発表を知った時に、正直なところ「幹ちゃん、いけるかな…?」と思ったりしていた。
Broadwayで観ることは出来なかったけれど、オリジナル・キャストのCDは持っていて(NYでディスカウントされているのを7$で買った)、ずっと聴き込んでいただけに、オリジナルのレオのBrent Carver(ブレント・カーヴァー)の歌声があまりにも素晴らしいのと、幹ちゃんとはちょっとキャラが違う様な気がして、どうかな?どうかな?と思っていたのだ。
もっと言えば、幹ちゃんが私の大好きな『Sunday in the Park with George』のジョージを演じた時にも役違いだったり、ただ"お上手"なだけのふわっと浮いた歌声を聴かせていたのが気になったりして、満足するものを見せてくれるかどうか不安だったのだ(ファンの方、すみません)。
が、それは杞憂だった。
この作品の幹ちゃんは、紛うことなくレオ・フランクだった。
冒頭のちょっとおどおどしていて、でも北部出身のユダヤ系上流階級という鼻持ちならなさも持っている、工場長のレオ・フランクだった。
実際、幕開けのレオは、妻のルシールに対しても留置所の看守に対しても嫌なことを言ったり、嫌な態度を取ったりする、嫌な奴なのだ。
そのレオが、自分のために奔走する妻ルシールに心を開き、ルシールから影響を受けて周囲に対しても少しづつ態度を変えていく様を、幹ちゃんはとてもうまく伸びやかに演じていた。
それは例えば、裁判シーン等でも表れていて。
裁判で、工場で働く少女たちが口を揃えてレオにとって不利な証言をする場面で、実際に彼女たちの証言内容がレオが歌い踊るという形で再現される。
ここ、もちろん実際のレオの行動ではなく、あくまでも彼女たちによってでっち上げられた虚偽の証言内容なのだけど、工場の女の子たちに ♪こっちへおいで、いいことしようよ と妖しく歌い踊るレオ=幹ちゃんは、何だか軽やかで、話の筋から考えたら本当はいけないことなのだけれど、やたら嬉し楽しそうだった。可愛かった(笑)
あかんのですけどね。
だから、冒頭のおどおどしているレオや、この楽しそうなレオや、そしてものすごく深刻な場面でのレオや、今回は幹ちゃんの振幅の広さを感じさせられた舞台だったな、と。
それだけに。
こんな悲惨な事件を通して、ようやく夫婦としての絆を確かめて、留置所で結ばれたレオとルシールがあんな形で引き離され、あんな結末を迎えてしまうのは、どうにもやり場がなく理不尽で。
今まさに私刑に処せられようとするレオが、暴徒(と言っていいだろう)に向かって「頼む。下に何か履かせてくれないか。何も履いていないんだ(これはルシールと結ばれた直後だったから)。吊るされた時に丸見えになるのは耐えられない」と懇願するのが、哀れで、どうしようもなく憤りを覚えた。
更に「僕の亡き後、妻に結婚指輪を渡してほしい」と頼むのも。
こんな不条理なことがあるだろうか。

そのレオと共に闘う妻ルシールは堀内敬子さん。
こちらも敬子ちゃんと呼んでしまうけれど(何てったって、幹ちゃんも敬子ちゃんも劇団四季の研究生でデビューした頃から知っているのだ!…いや、つまりそれだけ私も歳月経ているってことです)、ものすごく久し振りに舞台に立っている彼女を見て。
正直、1幕が終わった時までは、このルシールという役は彼女じゃなくても他に演じられる女優さんがいくらでもいるのではないかな?と思っていた。
けれど。
2幕が終わった時にその印象は180度ガラリと変わっていた。逆転していた。
2幕、ルシールは冒頭からは考えられなかったほど変貌する。
家政婦も雇って家の中だけに納まっていたルシールが、レオの無実を立証するために、家の外へと踏み出して、知事に働きかけ、不利な証言をした少女たちにも真実を追求していく。
ルシールが舞台下手の客席側に、スカートの裾をたくし上げて仁王立ちになり、怒りに肩をいからせ震わせて、知事のパーティーに乗り込んでいく姿は、圧巻だった。
その後更に裁判のやり直しをのらりくらりと躱す知事に向かって
「あなたは馬鹿か臆病者よ!!!」
と言い放つ様は天晴れだった。
あぁ、そうだった…と思い出したけれど、敬子ちゃんはそもそも、四季にいた時から、歌の人じゃなくて演技の人だったのだ。
今回のこの役でも、欲を言えばもっと歌えて欲しかったし、もっと厚みがあって奥行きがある深い声と歌唱力が欲しかった。
ルシールって、歌でも説得力のある歌が歌える必要のある役だ。
(BroadwayオリジナルのCarolee Carmello(キャロリー・カーメロ)は、それはしっかりした歌声をしている)
それでも。
この役はやはり敬子ちゃんの役だった、と思わせるだけの演技だった。
それを最も感じたのは、2幕幕切れ。
レオの遺品である結婚指輪を持って家を訪れた新聞記者に、黒服のルシールは言う。
「私はここで生きていくわ。私はジョージアの女ですもの」
そしてまためぐってきた戦没者記念日のパレードの人混みの方へと毅然とした足取りで歩いて行き、客席の方をきっと見据える。
この日、大千秋楽だったせいなのか、それともこの公演中はいつもだったのか、それは定かではないけれど、敬子ちゃんは必至ですすり泣きをこらえようとしながら、それでもこらえ切れずに目にいっぱい涙を溜めながら、とても強い力のこもった目で、何かを逃すまじとするかの様にしっかと客席の方を見据えていた。
それは、無実の罪で散ったレオに対する思いなのか。
それともレオをそんな運命へと追いやった群衆に対する怒りなのか。
はたまたそういったものをすべて飲み込んで、この先も生きていくという強い意志の表れなのか。
そうしたすべてを内包した眼差しであり表情だった。
あんなの、敬子ちゃんにしか出来ない。

この日、大千秋楽だったので、幹ちゃん、敬子ちゃん、演出の森氏から挨拶があったのだけど。
幹ちゃんが「最初はこの日本人に馴染みの薄い題材が、どうやって受け止められるのか、受け入れてもらえるのか不安だった。でも、やっている内にお客さんからの反応も大きくなっていって、今こそ日本でこの作品をやる意味があるのではないかということを強く思うようになった」という様なことを話していて。
確かに、そうだと思った。
冒頭にも書いた通り、ちょうど共謀罪法案が強行採決された日だった。
人種差別やヘイトスピーチが横行し、無実の人が冤罪に問われる可能性が高まっているこの日本で、この作品のことを「他国の、過去に起こった、自分たちには無関係の冤罪事件」と片づけることは難しいだろう。

ちなみに、劇場で「事件の背景がよくわからない」「説明を読まなければどうしてあの人が犯人にされるのかわからない」と言っているお客さんが多かったけれど。
これ、『風と共に去りぬ(Gone With The Wind)』とか、『声をかくす人(The Conspirator)』『それでも夜は明ける(12 Years Slave)』『リンカーン』辺りの南北戦争前後の米国を描いた映画を観ていると、あの時代の南北対立の状況や米国がいかに物騒でやばい国だったか(今でも十分やばいけど)が理解しやすいかと思われます。

あ、あと、私がBrodway観劇の師匠と仰ぐMisoppaさんのレビューを読んで頂くと、オリジナルの舞台がどれほど素晴らしかったかが伝わるかも。
(観劇の師匠は沢山いるけれど。色んな方に色んなことを教えて頂いている)
ご参考までに。

あ、アンサンブルのサカケンの凄さや何や書きたかったのですが、長くなってしまったので、それはまた別で。

Thu Evening Jun.15 愛知県芸術劇場大ホール
by bongsenxanh | 2017-06-22 01:26 | 観劇レビュ 国内etc. | Comments(13)
Commented at 2017-06-22 06:47 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2017-06-22 06:49 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by bongsenxanh at 2017-06-23 08:30
♪鍵コメさま

おぉ!やはり!鍵コメさまなら確実にLCTのオリジナルの舞台観ていると思っていましたよ~!羨ましい~!
で、そうなんです、文中で紹介したmisoppaさんもオリジナル舞台の裁判シーンの巧妙さを書いてらっしゃったので、きっと日本版のあれとは全く異なるものなんだろうと思っていました。
ちょっと今時間がないので、また夜にでもじっくりコメント書きます。
Commented by bongsenxanh at 2017-06-24 23:59
♪鍵コメさま つづき

で、そうなんです!裁判シーンが一番気になっていたところで。
以前からかなりがっつりCDを聴き込んでいたので(This is not over yetなんて熱唱できますぜ・笑) 裁判シーンのあの"Guilty!"が響き渡った後の無数の"Guilty…" "Guilty…"っていう囁きと言うか叫びと言うかがどうなっているのかをぜひ舞台で確認したかったのですが、どうもBWと日本とでは違う感じだったのですよね。
しかもその後もう一度高らかに"Guilty!"って言っているし。
余談ですが、日本語の「ゆうざい!」も音的に弱かったですね。
これは言語特性なので、どうしても仕方がないことですが。
やはりこれは英語に合うように脚本も音楽も書かれた作品なんですよねー。
私、演出の森さんのこと全然存知なくて、あの風貌から50代後半の大ベテランさんなんだと思っていたら。
1976年生まれのまだ40代になったばかりと知ってびっくり。
演出家としては若い方だったんですねー。
彼もオリジナルの舞台は観ていなかったのでしょうか?
あ、でもLCTのライブラリーに行けば映像は観られるはず?
ハル・プリンスの演出を壊して、自分だけのものを作りたかったのでしょうかねー?
かえすがえすもオリジナル観たかったです!Brentのレオ!
リージョナル、いつか観られるかなぁ?
Commented at 2017-07-08 06:39 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2017-07-08 08:27 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by bongsenxanh at 2017-07-09 01:26
♪鍵コメさま

おぉ、いつの間にシカゴ?!
そしてPARADE、羨ましい!!
そうか、やはりNY以外の米国の都市に行かなければいけないわけですよね、リージョナルを観るためには。

そう、裁判シーン、やはりそういう装置だったのですね。
先にも書いたMisoppaさんが「席がぐるっと回る」「観客の視点が変わる」みたいなことを書かれていたので、どういうことなのかな…?といろいろ想像を巡らせていたのですが。
観たかった…本当に自分の目で観たかった…!
しかもあのCDの"Guilty!"の声の内の一人がハル・プリンスだと知っているなんて…流石は鍵コメさま、レア情報ですね(笑)

『蜘蛛女のキス』のBrentのモリーナは、もちろん私も観たくて仕方のなかった舞台の一つですが、あの頃は私まだお子ちゃまでしたので…自分がNYへ行ける日が来るなんてことすら想像もしていなかったです(^^;)
ただただ、BWもトニー賞もブラウン管の向こう側、遠く遠くにある世界だと思っていました。
Brentのモリーナ、観たかったですねぇ…Chitaの蜘蛛女も観たかったですし。
市村さんがモリーナを演って、麻実さんが蜘蛛女だった舞台は観ましたわ、日本で。
あれ、演出はハル・プリンスのままでしたよね?
もちろん、演出補がついていたのでしょうけれど。
Commented at 2017-07-12 23:14 x
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Commented by bongsenxanh at 2017-07-14 01:31
♪鍵コメさま

お帰りなさいませ~。
その2作のためだけに行かれたのですね(笑)
ペ猫さん、お忙しいのですか、JCSのためならどこへでも飛んで行かれる様な気がしていたのですが。
PARADE、本当にあったら、行きます。
キャストが良ければ尚良しですが。
と言うか、シカゴは美術館にグランジャット島がありますし、いつかは行かなければいけない街だと思っているのですけどねー。

レリゴー、やるのでしたっけ?(最近、本当に情報に疎い(^^;)
秘密の花園は、日本にデイジー・イーガンがいるのかどうか、どきどきしています。
と言うか、レベッカ・ルーカ―のあの役があのお方というのはどうなんでしょうか…うーん、うーん。
なかなか日本でやるのって、難しいですねぇ。
適材適役ではなく、ネーム・ヴァリューとか、ヅカの力関係とか、色々で決まってしまいますものねぇ…
Commented at 2017-07-18 16:35 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by bongsenxanh at 2017-07-19 07:35
♪鍵コメさん

あ!これ、Papermillでやる公演ですよね?
私も情報見ました見ました!
行きたいです…とても行きたいですが、9月半ばのその時期って、ちょうど夏季休暇は終わっちゃって、お休みの取り難い時期なんですよね~;;
しばらくうんうん悩みます…
Commented at 2017-07-19 10:52 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by bongsenxanh at 2017-07-20 01:31
♪鍵コメさま

あ!私、すごい勘違いをしておりました!
記事をちら見だけして、paper millっててっきりNJのpaper millだと思っていたのですが、UKなんですね?!
未踏の地でした…。
尚更、悩みます。
なんとなく、ロンドン怖い(土地勘がない&物価が高い)っていうイメージがあって(笑)


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