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『受胎告知』1472-73 レオナルド・ダ・ヴィンチ
さて、まいりましょう。
3月下旬の公開前にこの作品が初めて来日するという情報を教えていただいて、この日が来るのを待ちわびていました。ようやく、長の年月を経て(大げさだと思われるかもしれませんが、小学生の時から好きだったんですもの)ご対面が叶うのです。
特別展示室の入口の手前に金属探知ゲートが設けられていて(空港のセキュリティでくぐるのと同様のもの)それをくぐらされ、更に手にバッグなどを持っていたら必ず中をチェックされます。警備、厳重です。何しろ今回の来日のために1億ユーロの保険がかけられたそうですから。もし何かあったとして、それを1億ユーロで贖える作品なのか?と問われるとそれも違う気がするのですが。ゲートをくぐって中へ入ってから、音声ガイドが必要な人は料金を払ってガイド機器を首にかけてもらいます。私は普段はこういうものは借りないのですが、今回に限っては借りました。ガイドを聞いている振りをすれば、無闇に「立ち止まるな」と言って絵の前から追い立てられることもないだろう...という計算のもと(狡猾)。
通路になっているスロープを進みながら、遠くから視界に入って来た『受胎告知』を観て、私が真っ先に思ったのは「小さい...!!」ということでした。小さい。なんて小さい。(98cm×217cm) そしてなんて鮮やか。大天使ガブリエルがまとった衣の赤が鮮やかに目に飛び込んできます。聖母マリアの衣の青よりも...赤。とにかく赤。
スロープを進んで行って、ようやく『受胎告知』の正面に立っても、その"鮮やか"という印象はますます強くなるばかりで。
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私の中ではこの作品はこんなに鮮やかではなかった。こんなにてらてらしていなかった。まるで昨日、油をのせたばかりのような―――...。



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そう、こちらが私の記憶の中にあった『受胎告知』。こうして2枚を上下に並べてみると、一目瞭然ではないかと思います。私の「鮮やか過ぎる...?」という印象と動揺は、ここからくるものだったのでしょう。私は美術畑の専門家ではないので、この修復がいつ、どこで、どういう人たちの手によって施されたものなのか、詳しくはないけれど。ここまで明らかに修復の手を感じさせるものを、どう感じていいのかわかりませんでした。もちろん、その修復技術は素晴らしい。恐ろしいまでに緻密で精巧に修復を施されている。それはおそらく、レオナルドが描き上げた時と同じ色合いを忠実に再現しようと試みたものなのでしょう。ただ......『最後の晩餐』が1999年に大修復を終えた時と同じような違和感を感ぜずにはいられませんでした。鮮やかに、くっきりと、迫ってくるこの絵画が、どこか現実離れしたもののようにも感じられて。国立博物館は、この絵画のために特注のケースに収め、ガラスがあることを感じさせないガラスを張って、かなり凝った照明の当て方をしています。あの照明技術は素晴らしいと思います。ぼぅっと薄暗がりの中に『受胎告知』だけが浮かび上がっているように見える...。ただ、それだけに、なんだかやたら輪郭のくっきりしたブレのない電光パネルを目にしているかのような、ディジタル画像を見ているような、妙な感覚がありました。なんだろう、この鮮やかさは、なんだろう、この緻密さは...。
そして、立ち尽くしてずっと見つめ続けていると、この絵は最初に感じた「小さい」という印象とは裏腹に、どんどんどんどんその存在感を増して大きく大きく感じられてくるのです。大きく大きくなってこちらへ迫ってくるのです。
右側にいる聖母マリアよりも、その色彩が濃い分だけ、大天使ガブリエルが大きく現実的に見えて、そしてその何か意図するものがあるかのような意味深な表情が怖くて(私はずっと、このガブリエルは怖い存在だと思い続けてきました)どうもその毒気に中てられているような気分になってきました。
マリアがいる右半分と、ガブリエルがいる左半分とでは筆のタッチが微妙に異なるようにも感じられて。これを手がけた修復士は一人だけだったのだろうか?もしかしたら複数の修復士がマリアとガブリエルを別々に手がけたのではないだろうか?そんなことも考えたりして。少し褪色したような朱と青の衣で描かれた、儚げでおぼろで現実感が感じられないマリアに対して、一方のガブリエルはあの強烈な赤い衣をまとって、異様な現実感を持ってくっきりと眼球の中へ、脳髄の中へ、飛び込んでくるのです。
ずっとずっと見つめ続けていたら、なんだかくらくらしてきました。頭が痛くなりそうでした。もうこの辺りが限界かもしれない?と思って展示室を出ました。
マリアが手を置いた書見台の細工の細かさも、ガブリエルが跪いた足元の下草や花のひとつひとつの細かさも、空気遠近法で描かれたぐぐっと奥の港や船の細かさも、マリアとガブリエルがまとう衣のひだの美しさも―――この人はやっぱり変だ、偏執的に何かを追い求めていた人だ...と思わせるに十分なものでした。レオナルド、20-21歳でこの絵を描いたと言われています。あぁ、私が東京在住だったら、公開している間に月1か月2で通うのに。いつかやはり、ウフィツィへ会いに行こうと思いました。
by bongsenxanh | 2007-06-04 01:03 | 美術 | Comments(0)


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